「負けるなよ。」
いつも通りの、高圧的な命令形。
でも、口癖の「のだ」は抜けていた。
『Don't yield.』
「っ痛ぅ……」
一人、漏らす。
手の平は、ボールに集中していないと、痛みで何も握れそうに無かった。
「やっぱ、異常、っすよね。この地面は…」
眺める先は異様にえぐれた地面。繰り返すアンダースローの練習でいつの間にかこうなっていたのだが、自分でも何故ここまでになったのか良く分からなかった。人の素手というものは土をこんなにも掘れるほどに強かったのだろうか。
いややはりそれほど強くはなかったのだろう、だからこそこうして自分の手はぼろぼろになっているのだ。
「…けど……これくらいは、やらないと。っすね」
また独り言。あの黒豹すら居ない日には、独り言しか言えなくて、しかしそれでも言わないとなんとなく変な感覚に襲われるのだ。この世界には僕以外にもたくさん人はいるはずなのに、なんで僕は言葉をかける相手に困っているんだろう・と。
「分かってるじゃないか」
ふいに、声が聞こえた。慌ててその方向、ちょうど自分の背後を振り返る。見慣れた派手なピンクの頭がくすくす笑いをしていた。
「し、鹿目先ぱ…ど、どうしたんすかこんなとこに!?」
「僕がどこに居ようとお前の知ったことじゃないのだ」
ふん、と鼻を鳴らしそうな雰囲気だ。それはいつも通り。ユニフォームがどろどろに汚れているのもいつも通りである。直前までちゃんと自分の練習をこなしていたのだろう。なのに何故・とますます首を傾げる。
「一年の雑魚どもに聞いたのだ」
子津の反応など意にも介さず、きょろきょろとあまり来ない校舎裏を見渡しながら、またなんの前兆も無く急に言う。ぱちぱち瞬きする子津に、再び喧嘩を売っているような挑発的な笑みを向け、
「お前がここで妙な特訓をやってるらしい・ってな。監督に言われて」
「あ……」
そういえば少し前に、仲間に見つかったことがある。秘密にしておけとのことだったから特訓の内容も全て黙っていたけれど、かえってみんなの記憶に残す結果となったらしい。噂話でもされているところに鹿目が通りかかったのだろう。
「一応僕もピッチャーだからな。どんなことをやってるのかと思って、見に来てやったのだ。」
「そ、そうなんすか……」
「で、何やってるのだ?」
一瞬、言うべきかどうか迷う。しかしすぐに、
「言えないっす。」
おどおどとだが、はっきり言った。くすくす笑いが少し高くなった。
「だろうな。一年連中も、ちっとも答えてくれなかったと言っていたし、未完成な自分の手の内をぺらぺら喋りまくるバカはいないのだ」
相変わらず少し高圧的な彼の言葉は、しかし、裏が無くて聞いていても悪い気がしない。もちろん試合中に聞いた時には色々とプレッシャーになったりしたけれど。
「訊かなくたって大体分かるしな」
「え?」
「お前のその傷だらけで土だらけの手。それに地面のくぼみ。」
「……それが…」
「オーバーやサイドで手が地面につくコトは無いだろう」
「………」
素直に驚く。やはりピッチャーをやっている人には、こんな些細なことでも分かってしまうものなのだろうか。それとも鹿目の洞察力が飛び抜けて優れているだけか。
「アンダーはそう簡単なもんじゃないぞ」
「…分かってるっす。身に沁みて」
「お前も、そんなに恵まれてる方じゃない。身長はない力は無いもちろんのこと剛速球なんて無理なのだ」
「……」
やはり容赦の無い人だ・と、内心苦笑を漏らす。けれど、『お前も』という言葉に、鹿目が自分と彼自身を重ねているのかもしれないとも思った。鹿目だって、力で抑えるピッチャーではない。生まれつき、それは適わなかった。
「だからこそお前は、……いや。」
言葉を止め、少し天を仰ぐ。曇天が広がっていた。ゆるい風に、ピンクの髪がなびいて揺れる。
急に、くる、と鹿目が踵を返した。すたすたと歩いていく。
「まぁいいや。どっちみちお前の問題なのだ、僕には関係ない」
「は?…はぁ……」
唐突な変わりように小首を傾げつつ、練習に戻ろうと子津も振り向きかけた。が、しかし、その時。
「負けるなよ。」
声が、した。
吃驚して、ぱっと振り向き直る。鹿目が顔だけこちらを向いて、子津を見ていた。さっきまでのくすくす笑いは無くて、ただじっと、真顔で。
まるで睨んでいるみたいだったが、その瞳に険は無い。
「僕の一番嫌いなものを教えてやる」
感情の無い声。それだけに、言葉を挟む気も起きなくて、ただ立ち尽くす。
「まず、身長が無いからって馬鹿にしてくるデカいだけの能無しども。それに、」
少し言葉を切る。微かに目が泳いだ。何か思い出すようなことでもあるのかもしれない。
「…自分のハンデを盾にとって、才能が無いだの無理だのと喚く弱虫だ。肝に銘じとけ」
びし・と人差し指を真っ直ぐにこちらに向けて。
冷たい声だったのに、酷く熱い響きを感じた。
「…もう帰るのだ。三象がまだ待ってる」
今度こそ、グラウンドに向かい歩き去っていく。その後ろ姿を少しの間、驚いて見開いた目で見つめた後に、
「――先輩!!」
叫ぶ。わずかに鹿目の歩く速さが鈍った気がした。どちらでもいい、構わない。続けて、叫んだ。
「…ありがとうございます!」
ばっと勢い良く、腰から折って礼をした。
一瞬、鹿目が止まる。ほんの少しだけ頭が動いて、しかしすぐにまた歩き出した。濃くなり始めた夕闇にその姿が消えた。それでもまだ、子津は立ち尽くしていた。もう顔は上げていたが、足が動かなくて、ただ鹿目の消えていった方を見つめていた。
「……ありがとう…ございます……」
聴く人の居ない礼の言葉を、小さな声でもう一度だけ、呟いた。
それからたっぷり一分。
やっと子津は我に返り、ほんの暫し自分の手を見つめる。相変わらず汚い手だった。泥と血と破れた皮膚。それに、ほつれてボロボロの古い包帯。
けれどそれは確かに彼の証だった。彼の、野球においての今そこに存在する証だった。存在できる理由でもあった。
ぎゅっと拳を握り、それから地面に転がっていたボールを一つ取る。
だいぶ藍の色がそのほとんどを占め始めた夕暮れの空に、ボールが壁を打つ鈍い音が響く。
遠く微かに、誰かの掛け声が聞こえた。
夏にはまだ、届かない。
---------------End.
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もう、めっちゃ趣味でこんなキャスティングですごめんなさい…(大汗)
二人とも体格と力の問題で速球というものは諦めなきゃならなかった人。でもピッチャーは諦めないで、それぞれに他の人に劣らない投球スタイルを追及して磨いて、そいでレギュラーだって取れる力を蓄えた人。コンプレックスと不屈の努力とプライドと。性格とか全然違うのになんか似てるような気がします。この二人は本当に大好きですv
鹿目さんは子津に対して「似てるなあ」とちゃんと意識してそのせいでちょっと同属嫌悪だと思います。でもその辛さも分かってるから、やっぱりちょっとだけ応援してやりたい。自分と似てる奴だからこそ負けてほしくないんです多分。昔の、まだ剃刀カーブまでは出来てなかった、先輩にいじめられたり(あの毒舌だし原作でもそれっぽい回想あったし、多分鹿目って牛尾とかの数倍先輩には嫌われてたと思うんですよ;)してた頃の自分まで負ける気がするから。
子津は鹿目ほど意識してないといいです。憧れの先輩ピッチャーが自分なんかに似てるわけない!みたいな(笑)